岐阜支部
戸山流とは
流祖森永先生
流祖森永先生が晩年を過ごされ戸山流の発展.普及に努められた
京都府京田辺市の「月読神社」境内に平成六年に建立された。
歴史
当流は大正14年陸軍戸山学校に始まり昭和15年同校森永清剣術課長が中心となって、改定.交付された居合を源流とする。
昭和20年9月、戸山学校はその72年にわたる歴史を閉じた。
戸山学校は幕を閉じたが、森永先生を中心とする有志により元来、居合に限らず武道は実戦の中から生まれる物で 有って平和の時代. 戦いの実相を知らない人間が考案できるものではない。
もし今後とも長く平和が続くならば、「戸山流居合」は日本史上最後の居合で有って、居合の結論とも言うべき貴重なものである。
こうした「戸山流居合」の有する文化遺産としての価値をしっかりと認識した上での継承の努力で有った。「大正、昭和の文化遺産」として「戸山流居合」を後世に継承する努力が開始された。
森永先生は、かって自ら研究し、制定し、公表した「戸山流居合」を、新しい平和の時代に相応する居合道に昇華、 老若男女が共に学べる「戸山流」を確立、普及に努められた。
「戸山流居合」は元来、剣道の練達者は言うに及ばず、未熟者、初心者にも習得出来る様に考案されたもので有った。この理念をさらに発展させ、老人婦女子でも習得可能な居合が追及され、「老若男女が共に学べる居合」と なった。
一方では、戦場での実用刀法としての「戸山流居合」を武道としての「戸山流居合道」に昇華させる努力も続けられた
まず、使用する刀が、軍刀から文化財としての日本刀に切かえられた事により、抜き付けの基本の見直しが行われた。
平行して戸山学校時代の「基礎居合、本居合、組太刀、試斬り」の武道としての理合が研究・整備された。
真に一刀両断の刀法を実践させる「大技で斬る」ことを原点とした「戸山流居合道」が磨かれ現在に至っている。
〜戸山流居合道・教本より〜
碑文